「長期から即時までの時空間地震予測とモニタリングの新展開」統計数理研究所/京都大学防災研究所/県立広島大学/静岡県立大学

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大地震予測の可能性: 昭和の南海トラフ地震前後の活動などをめぐって

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大地震予測の可能性: 昭和の南海トラフ地震前後の活動などをめぐって ― 時空間ETASモデルの可視化で追う活動の回顧的シナリオ ― (尾形良彦)
はじめに

将来の南海トラフの巨大地震の長期確率予測については、さまざまな議論がありますが,私たち団塊世代(後期高齢者)が生まれる前の数年間に、南海トラフ沿いで大きな被害をもたらした地震が相次いで発生したことをご存じでしょうか? 1944年12月7日に発生した東南海地震(マグニチュードM7.9)、1945年1月13日の三河地震(M6.8)、そして1946年12月21日の南海地震(M8.0)です。三河地震は規模が小さいものの、直下型地震であったため、建物の倒壊率が非常に高く、被害が甚大でした。一方、M8級の東南海地震と南海地震は沖合で発生したため、津波による被害が大きかったとされています。しかし、これらの大きな被害に対して、当時は日本では太平洋戦争の末期と敗戦直後の混乱期であったため、2024年の能登半島地震のように全国的に大きく報じられることはなかったようです。

今日のように、ふだんは地震活動が低く、余震が少ない西南日本ですが,昭和初期にはさまざまな地震が連続して発生しました。そこで,連鎖地震のシナリオや予測の参考のために昭和東南海地震から昭和南海地震までの地震活動の可視化した動画で実感してみたいと思います.

YouTube https://www.youtube.com/@yosihikoogata784 の「ショート」から動画が(スマートフォンも可)から動画が視聴できます。これらをできるだけ予測可能性の観点から議論し,連鎖地震の発生確率について追求したいと考えています.

地震は断層のずれによって発生し、その際、周辺の別の断層に加わる応力の増加は、平常時に着実に蓄積される応力の比ではないほど大きくなります。

今日では、衛星写真やGNSS測地データを用いることで、大地震発生後の短時間のうちに、周辺の地殻が一気に押し寄せたり引いたりする様子を確認できます。その影響で、ある地域では突然地震活動が活発になったり、逆に活動中の余震が急に静まったりする現象が見られます。

「時空間ETASモデル」は、どの場所で地震活動が活発になり、どの場所で余震の減衰が進み、どの場所で静穏化や活発化が起こるのかを、時間の経過とともに動画で可視化できる統計モデルです。

三河地域における前震型の確率予測

前兆現象異常現象(平常時と異なる観測状態やデータの異常値など)は、明確に区別する必要があります。前兆現象は実際に地震を伴うものですが、異常現象は確率予測の観点から私たちが判断するものです。異常現象が的中することもありますが、実際には多くの場合、空振りに終わります。

地震予測において重要なのは、異常現象が前兆現象である確率です。たとえば、「前震」は本震が発生した後に初めて認定されるものであり、その一方で、「前震かもしれない」地震の群の性質を分析し、前震の確率予測につなげる統計モデルが求められます。

また、平常時の大地震発生率に対する異常現象の的中率は確率利得と呼ばれます。どちらの確率も極めて小さいですが、異常現象の発生場所や経過時間によって異なるため、詳細な分析が必要です。

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昭和の南海トラフ連発地震について。(左側)平常時に近い地震活動度。(右側)西日本周辺の時空間ETASモデルによる地震活動度の動画ビデオの9コマ。注1)東南海地震の余震活動が知多半島に推移した(前震と呼ばれた)、その後三河地震が発生した。注2)紀伊半島南端(黒四角内)では、東南海地震から南海地震までの間に群発地震が続いた。

<<第1図>>

[第1図の説明文]昭和の南海トラフ連発地震について。(左側)平常時に近い地震活動度。(右側)西日本周辺の時空間ETASモデルによる地震活動度の動画ビデオの9コマ。
注1)東南海地震の余震活動が知多半島に推移した(前震と呼ばれた)、その後三河地震が発生した。
注2)紀伊半島南端(黒四角内)では、東南海地震から南海地震までの間に群発地震が続いた。

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東南海地震後の地震活動を動画でモニターすると、余震活動が終息しつつある地域から地震が上陸し、やがて離れた北部の三河地域で活動が見られるようになります(第1図5コマ目のスライド参照)。これらの地震が「前震型」である確率を計算します。

具体的には、この上陸活動における地震列の各時点までの最大地震を基準とし、それよりも将来3倍以上大きい地震が発生する確率を求めます。この系列では、M4以上の地震が8回発生し、そのうち5番目の地震が最大でM5.7でした。

ここで、Ogataほか(1996, Geophys. J. Int.)の計算方法によると、将来 M6.2以上 の地震が発生する確率は、1か月以内で 5~9% となります。9割以上が空振りに終わる可能性があるとはいえ、この地域における M6.2以上の地震の平時確率は、平方度あたり1か月で 0.003%以下 であるため、平時確率と比較すると 2000倍以上の確率利得となります。

被害リスクを考慮すれば、十分に警戒すべき状況といえるでしょう。

さらに、大地震の余震域境界部で認識された地震群が、東南海地震によって誘発される 確率利得は、より高いと考えられます。

実際に、大地震発生後の隣接地域における大地震の発生確率を統計的に見積もった結果、以下のようなことが成り立ちます。すなわち、一度大地震が発生すると、その近辺で同程度以上の地震が発生する確率(単位面積あたり)は、遠方のどこかで発生する確率よりも数倍高いことが、経験的統計や時空間ETASモデルによって示されています。

紀伊半島南端付近の群発地震活動について

さらに、動画のモニターから 群発地震活動として注目すべき部分がありました。それは、紀伊半島南端付近の活動です。この地域は、結果的に1946年南海地震の震央の北部にあたります。

この局所地域では、東南海地震の余震活動度が減衰することなく、南海地震の発生まで一貫して群発地震が続いていました(第1図 2~7コマ目の小四角形で囲まれた部分を参照)。このことは、可視化された気象庁カタログのデータだけでなく、当時紀伊半島南端の潮岬測候所で記録された300回を超える有感地震の発生履歴からも明らかです(Ogata 1996; J. Geophys. Res. 参照)。

現在であれば GNSSインバージョンによってこの地域の変動を確認できる可能性がありますが、当時この付近では スロースリップ(ゆっくりすべり)が発生していた可能性も考えられます。また、もし傾斜計が設置されていれば、流体間隙圧やスロースリップの関与による時間変化を観測できたかもしれません。

これらの異常現象が観測された場合、この群発地震やスロースリップが、事後的なものなのか、前駆的なものなのか、それとも常習的な現象なのかを、確率的に評価することが重要になります。